医療事故における、医師の刑事責任     2002年8月8日

                                      熊本大学・粂 和彦


2008年9月15日 追加
下記の意見を6年前に書きましたが、その後、ADRの議論は医療側の反対で、なかなか進みませんでした。 しかし、2006年に福島県立大野病院の医師が逮捕され、ようやく医療界にも危機感がつのり、 ADRの必要性、医療への刑事介入への批判が広がりました。
私自身は、下記の意見に6年前から書いているように、医療への刑事介入は「必要悪」であり、「必要」な場合があることは認めるが、謙抑的に行われるべきだという意見は変わりません。 しかし、2年前のブログにも書いたように、6年前以上に、刑事介入の「悪」の部分が現状では大きくなりつつあるという認識です。
医療界が、透明性を向上させることを、さらに期待しています。



最近、綿菓子の割り箸が、のどから脳に刺さった事故の子供を、診察して見落としてしまった杏林大学の医師が、過失致死罪で起訴されたという記事がありました。
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200208/02/20020803k0000m040061001c.html

また、その前には、東京女子医大心臓手術事件で、証拠となるカルテの改竄を指示したとして、当事者の医師が、逮捕(身柄拘束)されるという事件もあり、医師の刑事責任追及が話題になっています。

杏林大学の件に関しては、母親が手記を出版しています。

「割り箸が脳に刺さったわが子」と「大病院の態度」 小学館文庫 杉野 文栄 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094047417/qid=1028682538/

昨年、この本を読み大きな衝撃を受けたので、私も書評を書きました。この件における、マスコミの姿勢や警察の態度に批判的な方は、是非、上の本を読んでみて、なぜ、このご家族が、病院を「悪」と考えざるをえない気持ちになったのかを、まず知って欲しいと思います。最愛のお子さんを失うという、それだけでも全く耐え切れない事実に加えて、医療事故被害を受けると、いかに大変なのかという点も知って、その上で、批判をして欲しいなと思います。単に医者の逮捕は困る、という議論は、表層的すぎると感じます。

私は、この本、および、この件の民事訴訟における、被告側・原告側双方の主張を読んだ上で、この事件で、警察の果たした役割は非常に大きく、現状では、医療事故の被害にあった場合、ケースによっては刑事訴追の力を借りざるを得ない状況があると考えています。ですから、現状のままでは、医師の刑事責任などを免除するのは、まったく無理な議論だと考えています。

また、カルテの改竄の疑いがもたれるようなことが続けば、刑事訴追免除どころか、女子医大の件と同じように、医療事故が疑われれば、即、身柄の拘束(逮捕)とういうのも、日常的にさえなるのではないかと、恐れます。この点に関しては、現在、カルテの公開が強制されていない以上、最大の「証拠」であるカルテを改竄したことが疑われれば、それ以上の証拠隠滅を避けるために、逮捕も当然で、何ら反論すべき根拠が認められません。


しかし、将来的な方向として、私は、医療事故を裁判以外の方法で解決する方向とすることや、さらに医療関係者の刑事訴追免除も一定の条件を満たすケースに限り認めることに対しては、肯定的・積極的な立場です。しかし、その実現のためには、下記の2つが、最低でも必須です。

1.まず、医療情報の最大限の開示です。
2.次に、医療事故を、第3者的に公平に裁定できる機関の設置です。

この情報開示の法制化と、刑事処分に替わるペナルティ(再教育や医師免許剥奪など)の強制力・実行力を持つ第3者組織の確立をする前に、責任免除しろだけでは、まったく一般市民に受け入れてもらえるわけはないと考えています。
また、さらに理想的には無過失補償制度が確立することで、そこまでいけば、全ての医療者と患者の利害の方向が一致して、良い医療が実現できるのではと夢見ています。


例えば、第3者組織について、愛知県の南山大学教授の加藤良夫弁護士は、「医療被害防止・救済センター」構想というのを提唱しています。

http://homepage2.nifty.com/pcmv/

彼は、この「医療被害防止・救済センター」構想詳細の中で、下記のように書いています。

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10.責任軽減・免除の条件
医師、医療機関、製薬会社、医療機器メーカー等に過失があるケースについてはセンターが求償することもできますが、以下の3つの条件を満たした場合はその責任を軽減するか免除することができるようにします。


 第一に常日頃からまじめに医療活動・企業活動を行ってきたこと(例えばそれまでまじめに診療をしてきた人がうっかりミスをしてしまった場合は、常日頃よりいい加減なことを繰り返してきた人がミスをした時と比べて、責任非難の度合いも異なると思われます)。

 第二に速やかに被害者に謝罪すると共に、被害者がセンター等へクレームを提出する前に、加害者側が自発的かつ正直にセンターへ事故報告をして自らの失敗を社会の教訓にしようとしたこと。

 第三に真相を究明するとともに同種事故の再発防止へむけた改善策を立案し、それを実践しはじめたこと。

これら3つの条件が全て揃っている時には、センターは加害者に対して求償しないこともできることとします。

 この政策により社会の中で日頃よりまじめに仕事をすることの尊さが再認識され、医療の世界においても加害者が事故を隠ぺいしたりごまかしたりして責任回避的態度を示すという体質を変え、患者中心の医療、安全な医療、レベルの高い医療の実現に寄与できればと願っています。
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ただし、この説は、あくまで、「民事」で争われている部分についての話でしょう。(この部分で、「民事」という書き方をするのは、間違っているようですので、削除します。2004年4月)

良心的な医療さえ行っているのなら、刑事訴追を受ける心配をする必要などはないというのが、現在の法律家の認識のようです。逆に言えば、刑事訴追せざるをえない事例が、完全になくなるのは、悪人を完全に排除することができない以上、どの業界でも無理なことでしょうから、「医師なら医療上は何をしても、逮捕されない」、なんていうことは、当然、ありえませんね。最低でも上述の3項目が守られ、被害者が納得している場合に、刑事訴追免除の可能性が模索されてもよいのではと、いうことです。

医師・医療従事者側として今できることは、とりあえず現在の法律の枠組みの中で、情報を公開し、患者との人間関係をよく保ち、安全な医療を進めていくしかないのではないでしょうか?なお、この「安全な」というのは、英語の defensive という言葉を意識しているのですが、日本語の良い訳が思いつきません。日本語の萎縮医療は悪い意味ですが、英語では、良い意味で使っています。

一般市民にも、マスコミにも、医師がミスしたら逮捕してしまえと思っている人が多いわけでは決してなく、少なくとも良心的な医師が、最善を尽くしている中でのミスに関しては、上のように救済されても良いと訴えていくことは可能だと考えています。