腹腔鏡事故から、何を教訓として学ぶか? 2003年9月27日


                                      熊本大学・粂 和彦


本文中に登場する、名古屋大学の医療事故調査報告書の全文を、HPにアップしました。 こちらです。

慈恵医大附属病院泌尿器科で、腹腔鏡の手術中の出血で患者が死亡し、その責任を問われて、直接の担当医が3人逮捕され、麻酔科医2人と手術を許可した診療科長が書類送検されました。

http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200309/25/20030925k0000m040144001c.html
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200309/25/20030925k0000e040062002c.html

これまでに報道されたことから、いくつか問題点が明らかになってきています。

ここでは、医療の内容にはあえて触れず、ルールに決められた手続き面での問題点を指摘します。


1.経験の未熟な医師が執刀した
 日本内視鏡外科学会は、単独の執刀が認められるためには、「手術助手として10例以上、指導者の監督下に執刀医として10例以上の手術を行うことが必要」としているそうです。今回のケースで、このルールに違反していることは明らかです。
 たとえ、法的拘束力や、罰則を伴わない規定でも、医学会の内部で決めたルールを無視することは、大変な問題です。医療界全体が、市民から「自浄能力なし」と判断される材料になるからです。「内部で自分たちで決めたルールだからこそ守る」というのが、医師というプロフェッショナルに求められる「最低限の」職業倫理ではないでしょうか?

2.倫理委員会の内規を無視した
 慈恵医大自身も、腹腔鏡手術には事前の倫理委員会の承認が必要とみなしていますが、その手続きが踏まれていませんでした。これも1.と同様に、自律的な組織であるがゆえに、重要なはずです。

3.異常死としての通報、事故の公表がなかった
 医師側に「過失がない」と考えるのなら、警察への通報義務、公表の義務は「なかった」のかもしれません。しかし、現在報道されている内容を読む限り、さまざまな点で過失があったことは明らかで、その場合は、患者死亡後には「異状死として警察への通報」および「重大な医療事故」として、事故の公表が急がれるべきでした。
 内部調査委員会が、いったい何をしていたのか、その責任も問われるべきでしょう。

 この3点、倫理意識の低さ、内部浄化作用の弱さ、透明性の不足があるからこそ、今回も結局、警察の手を借りなければならなかったわけです。医療の分野にいる一人として、大変悲しく感じます。
 私は、医療の現場に、警察の捜査が行われることも、医療の問題が裁判という手続きで解決されることも、良いことだとは思いません。しかし、このようなことが続き、また第3者機関の設置が遅れている現状では、今回の警察の対応はまったく妥当で、市民のためにも意義深いものだったと考えます。

4.病院側のコメント
 報道により内容が多少異なっているので、真意が伝わっていない可能性はありますが、記者会見で「難易度の高いものに挑戦するのは大学病院の使命だ」という発言があったそうです。よりにもよって、このような状況下で、このような総論的な意見は、とても認められず、残念です。
 たとえば、「(分院まで含めた)全ての大学病院の、全ての診療科で、(未熟な医師も含めて)全ての医師が、難易度の高いものに挑戦することが使命なのか?」というように、この文を言い換えれば、答はもちろんNOです。
 1から3に指摘したような、明らかなルール違反が認められ、それを謝罪する記者会見の中では、言って欲しくないコメントでした。これでは、本当に使命を感じて、医学の発展に貢献しようと努力している、たくさんの良心的医師たちの足を引っ張るだけの発言です。


批判だけしても、先には進めません。何を学び、どう変える・変わるべきか、です。

総論的に遠因まで含めて書き出せば、キリがないので、3点だけ取り上げます。

1.医療者には、患者の視点を持って欲しい
 今回の術者は、患者が自分の父親でも、同じことをしたのでしょうか?手技適応については腹腔鏡を選んだとしても、全く初めての手術なら、多分、経験のある指導医にお願いして手術に立ち会ってもらうように頼んだのではないでしょうか?
 自分自身や自分の家族にするからといって、その医療が充分良いという保障はありません。特に過剰なパターナリズムは、自己決定権との関係では悪く働くこともあります。しかし、自分の家族に対して行わないような医療は、ほとんどの場合、良い医療とは呼べないでしょう。
 やはり、全ての基本にあるべきなのは、良心と患者への共感だと思います。

2.過去の教訓を生かすこと
 腹腔鏡の事故としては、2002年8月に名古屋大学病院でも患者の亡くなる事故がありました。
 この事故では、名古屋大学は模範的ともいえる対応を行い、外部委員も入った事故調査委員会が遠因まで含めた詳細な事故の原因解析を行い、 立派な報告書を作り、事故に再発防止に関する提言をまとめています。腹腔鏡手術を行う人たちは、是非、このような提言を読み、過去の事例から学んで欲しいです。
 また、今回の件に関しても、慈恵医大にも同じような、きちんとした調査に基づく報告書を作り、再発を防止して頂きたいと思います。それが、大学側の最低限の責任でしょう。

3.集約化と病院・診療科を超えた協力を
 この名古屋大学のまとめた報告書の中でも、同じ腹腔鏡を用いた手術でも、難易度の高いものから、比較的容易なものまであるため、経験が少ない、いわゆる初心者は指導者のもとで、容易と考えられる手術で経験を積むことから始めるべきだということが、提言されています。しかし、診療科によっては、難易度の高い手術ばかりが多い科もあるでしょう。
 どのような名医も医者になった瞬間には単なる初心者だったはずです。指導・教育して経験をつませ、新たな良医を育てることは、医療者だけでなく市民の義務でもあり、腹腔鏡に限らず、比較的簡単なものを、充分な指導下で経験をつませる必要があります。
 ところが、今の日本では、病院が乱立し、どこの病院でも何でも行える、という方向の分散化があります。集約化は、病院の少ない地方では、患者側のアクセス面での負担を増やすことになります。しかし、首都圏などアクセスの良い場所では、このような医療者の教育面も重視した、一定の集約化が必要でしょう。
 さらに、同じ病院の中でも診療科が異なれば、協力して医師を育てるという体制は、ほとんどありません。今回の事故で、腹腔鏡の技術教育が問題視されるようになったことを良いきっかけに、このひとつの新しい技術を中心に、診療科を超えた若手医師の教育体制作りの動きを強め、それをもとに、各診療科の間の壁が低くなれば良いと考えます。
 そのような努力の中でしか、失われつつある医療への信頼を取り戻すことは不可能に思えます。


最後に、本日の朝日新聞の社説を一部、引用します。

残念ながら、まったく指摘された通りで、これを叱咤激励と受け止め、
医療が「患者のためのもの」になっていくことを期待します。

■慈恵医大――患者は実験台ではない (2003.9.27.朝日社説から)

 患者の命が、何と軽く扱われていたことか。

 慈恵医大青戸病院の事件には、詳細が明らかになるにつれて怒りが募るばかりだ。

 ・・・

 記者会見で、病院長は「難易度の高いものに挑戦するのは大学病院の使命だ」と語
っている。

 学会が示している基準も学内の倫理委員会の規定も無視し、熟練者に教えを請うこ
ともせず、危険度の高い手術をしてしまうのが、大学病院の「挑戦」なのか。これで
は患者は実験台にすぎない。

 「患者の健康と生命を第一とする」。医師の心構えを説いたヒポクラテスの誓いの
この一節を、青戸病院の医師たちは忘れているのだろうか。

 大学病院では、縦割りの診療科の弊害も大きい。腹腔鏡手術でも例えば胆石は比較
的易しいが、消化器外科の分野だ。泌尿器科は前立腺のように体の奥にある臓器が多
く、手術は難しくなる。腹腔鏡に熟練した消化器外科医の立ち会いなしには、泌尿器
の腹腔鏡手術をやらない病院もある。

 個々の医師の技量をあげるには、こうした診療科の壁を超えた協力体制が必要だ。

 今回の事件を機に、医療界をあげて無謀な手術を防ぐ仕組みを考えてほしい。